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YR1001 羽後本荘駅
*おらが町のマイレールは生き残れるか。 由利高原鉄道
由利高原鉄道は、もと国鉄矢島線を転換した第三セクターの鉄道です。
ところで矢島線は、もと私鉄であった横荘鉄道を国有化したという特異な歴史をもちます。
横荘とは、横手市の横、に羽後本荘の荘を意味するわけですが、
実はこの鉄道、東西に別々の路線を持っていました。
矢島線はこのうち西線(羽後本荘-前郷11.6Km)を買収したものなのです。
一方、東線(横手-老方 38.2Km)は雄勝(おがち)鉄道を経て、
羽後交通(横荘(おうじょう)線)となり、1971年に廃止されています。
地図を見てみると東線は平鹿郡を越え、由利郡東由利町の老方まで来ていたのですから、
本気で横断鉄道を完成させるつもりだったように思われます。
しかし改正鉄道敷設法(1922年)によって西線だけが買収されたのです。
いったいなぜでしょう。
1937年に買収された西線は、国有化された翌年の1937年、
前郷から矢島まで延伸されています。 改正鉄道敷設法によれば、
当線は「秋田県本荘ヨリ矢島ヲ経テ院内ニ至ル鉄道」とあります。
西線の羽後本荘-前郷 間が丁度、重複する路線であったがため、これを利用し、
横手に向けて東進しようとする当線を前郷から南下させ、
矢島街道沿いに院内へと向かわせようとしたわけです。
奥羽本線の新庄以北は、秋田新幹線の開業、山形新幹線の新庄延伸以後、
なんだか取り残された感がありますが、今なお電化された本線として堂々たる趣があります。
とはいえ、院内駅は雄勝峠のふもとの山中にあります。
もっとも院内は、岩見、生野と並ぶ古くからの銀山で、
明治、大正、当時も操業していたわけですが、
予定線には国道108号線でも難所であった松の木峠があり、
そこを越えてゆくだけの価値があるのかどうか疑問です。
そこで私は、
「ひょっとしてこのルートは矢島へ線路を導くための方便ではないか。
つまり当時、矢島には、実力者がいたのではないか。」
と思いつき、調べてみましたが、それはわかりませんでした。
しかし国有化されたことで、その後、国鉄矢島線は1985年に由利高原鉄道として
第三セクターに転換されながらも存続することができました。
さて「鳥海山ろく線」となった当線ですが、実際のところ当線は、
美しい鳥海山を背景に走っていて、まさにこのネーミングに偽りはありません。
私は、今回調べてみるまで「鳥海山は秋田県の山」とばかり思っていました。
ところが、鳥海山は、秋田、山形の県境どころか、七合目より上は山形県内にあります。
鳥海山は、修験道の聖地として有名ですが、古くから境界を巡る争いがありました。
旧矢島町のHPによると、何でも山形 庄内藩の策略で鳥海山の頂上が奪われたとき、
矢島藩で交渉にあたった若き家老は、責めを負い自刃したそうです。
一万石に満たない小藩ではありましたが、矢島藩の意地を示したわけです。
歴史はどうあれ、沿線の方々にとっては、往古より、そして今も
「鳥海山は、おらが山。」と思われているにに違いありません。
そして矢島町は、「おらが町のマイレール」である
由利高原鉄道「鳥海山ろく線」を守るため、様々な取り組みをしてきました。
しかし矢島町は、2005年3月、由利本荘市となり消滅してしまったのです。
由利町や矢島町の町民であればこそ、鉄道の存在に好意的ではあっても、
合併した他の旧1市5町にマイレールの意識を持ってもらうことが、果たして可能でしょうか。
この平成の大合併。思わぬ副作用をもたらすのではないか。と心配しています。
由利高原鉄道では、現在も硬券の乗車券を売っているとのことです。
(Webページhatena.daiary,keyword
「由利高原鉄道」による情報)
運賃表示形ではなく、
行き先が表示してあるところにも好感が持てます。 |
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