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J鉄局の珍車ギャラリー

阪神 5550系 5562

ギャラリー

「アルナ車両製のジェットカー
−阪神電気鉄道 5550系 5562

阪神5550系は2010年12月に営業運転を開始しました。
普通列車用「ジェットカー」です。

その出で立ちから、またその数字からも
5500系のマイナーチェンジ版とも推察できるのですが。
その中身は、大きく変化しており、
私としては別系列として扱ってしかるべきでは、
と思っています。

先に5500系について、お話しします。
5500系は1995年に登場した阪神初となる
GTO-VVVFインバータ制御車です。
「アレグロブルー」「シルキーグレイ」の
ツートンカラーの車体で、
普通列車用の車両として「青」がベースの出で立ちです。

さて、5500系が登場した1995年は
阪神にとって特別な年です。
そう。阪神・淡路大震災です。軌道はグニャグニャ、
石屋川にある車両基地も崩壊、
被災した車両は全体の1/3におよびました。
車両についても懸命の復旧作業をおこなったのですが、
それでも33両もの廃車が出てしまう
という結果になりました。

5500系は、この代替車両として登場しました。
ちなみに
急行用車両には9000系ステンレスカーが導入されています。
ところで、阪神では自前の車輌製造会社である武庫川車両で
車両を増備してきました。
阪急におけるアルナ工機のようなものですが、
東武鉄道にも多くの車両を供給してきたアルナ工機と違って、
武庫川車両は、他社への車両供給は少なく、
わずかに叡山電鉄などに見られるくらいです。
ですから、一気に
33両もの新車を製造できるだけの能力はありません。
同じ兵庫県の車両メーカーである川崎重工に
白羽の矢が当たりました。
9000系がステンレスカーなのは
川崎重工がステンレス車体を得意としてきたからです。

対して普通列車用の5500系ですが、
こちらはスチール製です。
武庫川車両と川崎重工で分担して製造することになりました。
2000年までに(4連×9=36両)製造されました。

その後継車両となるのが5550系なのですが、
10年の歳月が流れているのですね。
見た目そう変わらないように見えます。
他の「ジェットカー」と同様、
加速度4.0km/h/s、減速度4.5km/h/sで運用も共通です。
しかし、
マイナーチェンジとは思えない大きな変化があるのです。

5000系(初代)以来、
ジェットカーは高加減速性能を高めるため
ずっとオールM編成で組成されてきました。
それを5550系では3M1T編成
(Mc-M1-M2-Tc) としたのです。

ではなぜ5550系にTc車を導入したのでしょう。
それは1000系と装備品を共通化したためです。
主電動機は1000系と同じく
東洋製TDK-6147-A(出力170kW)を採用しました。
5500系のTDK-6145-Aより出力をUPしたため、
3M1Tが可能となったわけです。
制御装置は三菱製MAP-174-15V163B(1C4M方式)を
各電動車に搭載し、歯車比は1000系と同一の6.06。
設計最高速度も同じく110km/hです。
パンタグラフがシングルアーム式になったのも
1000系と同じですね。
台車も住金製のモノリンク式ボルスタレス台車
(M車:SS171M、T車:SS171T)です。

ちなみに、1000系はというと、これ近車製です。
なぜかおわかりですね。
1000系は、阪神なんば線へ乗り入れ、
そこから近鉄奈良線に乗り入れる為に
開発、製造された系列だからです。
1000系は6連×11本 + 2連×9本=84両という大所帯です。
ステンレスカーということもあって、武庫川車両ではなく、
新たなパートナーとなる近鉄の意向も踏まえ
近車に発注したのです。

そして、普通列車用の新車である5550系は、
スチール製でもあり武庫川車両で製作することにした−−。

と いいたいところなのですが、違います。
1000系のパーツを多用するというのですから
近車製なら、まだ納得できます。
それも違います。
なんと5550系は「アルナ車両」製なのです。

いったいどうして「アルナ車両」製なのでしょうか?。
冒頭、阪急系列である「アルナ工機」は、
東武鉄道にも多くの車両を供給してきた。
とさりげなく紹介しました。
「アルナ工機」と「アルナ車両」は一緒ではないので、
この際、ざっと整理してみます。
1947年に設立した「ナニワ工機」は
1970年に「アルナ工機」とその名を改めました。
その後6300系など阪急の名車をこの世に送り出してきた
技術力のある車両メーカーです。
しかし、1990年代から東武鉄道のみならず、
親会社の阪急電鉄まで
新車の発注を手控えてしまうことになるのです。
右肩上がりだった乗客数に陰りが出てきたことに加え、
やはりバブルの崩壊に伴う景気の低迷もその一因では
と思われます。

結果、「アルナ工機」は車両部門の一部を継承する会社として
「アルナ車両」を設立しました。
しかし設立当初の「アルナ車両」は阪急の車両であってさえ
「日立」製の車体(Aトレイン)に
電装品などを艤装するにとどまり、
車両メーカーとしての かつての栄光は 失われていました。

歴史のうねりはとどまることがありません。
2005年 阪神に対する
村上ファンドの株式買い付けが契機となり、
2006年 阪神は、阪急と経営統合、
阪急阪神東宝グループの一員となります。

せっかく経営統合したのだから、
そのメリットを最大限生かしたい。
阪神5550系が「アルナ車両」に発注されたのには
そういう意図があったに違いありません。
でも阪神なんば線開業に伴う
阪神の大量発注はもうおしまい。
一旦、車体製造から手を引いた「アルナ車両」を
蘇生するだけの力はなかったようです。
結果、「アルナ車両」製 阪神電車はこの一編成のみ…。

ジェットカー初のTcは5562形です。
どうしてこんな奇妙な形式となったのでしょう。
5500系(Mc1-M2-M1-Mc2)では、
中間車に5601形があてがわれています。
元町側ユニットに偶数を配置するルールですから、
5501F:5501-5601-5602-5502 となります。
5550系はといいますと
5551F:5551-5651-5652-5562 です。
もしオールM編成なら元町側は5552ですね。
T車なので50番台ではなく60番台を附したのですが、
5561は欠番なので、
初号機に合わせ5562形としたというわけです。
しかし8000系や1000系の例に従えば、
5700番台をTc車にあてがうのが筋です。
でもそうはならなかったのは、
5550系を量産する気はなかったということのようです。
5700番台は次世代のジェットカーに空けておこう
という意識があったのではないでしょうか。

ここで5550系の存在意義を考えてみたいと思います。

駅間距離が極端に短い阪神本線での各駅停車は、
急行列車に道を譲るため 待避線のある駅まで、
いかに速く逃げ切るかが勝負となります。
最高速度はあまり意味がありません。
つまり、高加速、高減速こそが求められるのです。
普通列車用車両が「ジェットカー」と呼ばれるゆえんです。
よって、すべての「ジェットカー」は
加速度4.0km/h/s、減速度4.5km/h/sで
急行用車両の加速度3.0km/h/s、減速度4.0km/h/sを
上回るスペックとなっています。

最近の電車といえば高性能で、足回りだけでいえば
各駅停車から特急まで何でもこなせるのが普通です。
今どき、大手私鉄で各駅停車専用の新車を導入しているのは
阪神だけです。

阪神なんば線でも、例に漏れず
1000系、9000系が快速急行から普通列車までこなします。
ジェットカーは入線しません。(西大阪線時代には実績あり)

1000系は3M3Tの6連と1M1Tの2連で構成されます。
(MT比1:1)
これを3M1Tの4連に組み替えれば、
いかな阪神本線でも
そのまま普通列車用として使えるような気がします。
5550系は前述したように、
ジェットカー初の3M1T編成で、
1000系と主電動機も同じです。
そう…ステンレス車体にブルー帯の1000系が
あってもおかしくなかった。

しかし、阪神は5500系から15年の年月を経て、
なお5550系「ジェットカー」をデビューさせたのです。
そしてジェットカーの歴史は、
2015年製の5700系に引き継がれることになります。
たった1編成ではありますが、
ジェットカーを引き継いだ5550系がなければ、
5700系「ジェットシルバー」は誕生せず、
ブルー帯の1000系がこれに取って代わったように思います。
いや、ブルー帯どころか、
阪神からも普通列車専用車両が
姿を消すようなことになったかもしれません。
5550系は阪神電車の車両史に大きな意味を持つものです。

とりもなおさず、普通列車専用車両
「ジェットカー」の歴史は引き継がれました。
そしてその歴史が5700系のブルーリボン賞として
認められることになるのです。

5700系については次回お話しします。

−鉄道車両写真集−
阪神 5500系 リノベーション車  5550系
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参考文献(鉄道ピクトリアル 2011年10月号 #855,
「鉄道車両年鑑」P181〜182)