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J鉄局の珍車ギャラリー

JR西日本 223系7000番台

ギャラリー

「あえて130km/h運転はしません」
−JR西日本 223系7000番台

2020年10月 新快速が50周年を迎えました。
東は北陸本線の敦賀から、
西は赤穂線の播州赤穂まで275kmの
幅広いエリアをカバーします。
JR北海道の長距離普通列車がなくなって以来、
なんと新快速は
最長距離を走行する普通列車でもあります。
距離だけではありません。
東海道・山陽本線/湖西線では
最高時速130kmで快走。
京都―大阪間(42.8km)を28分、
大阪―三ノ宮間(30.6km)を21分で結びます。
日中は15分ごとの運行で、
特に大阪駅と京都駅では、
上り・下りとも
毎時0分、15分、30分、45分発
という設定ですので、便利なことこの上ありません。
新快速の英語表記は「Special Rapid Service」。
名実ともにJR西日本を代表する看板列車です。

新快速は1970年に113系でデビューしたそうです。
というのも、私には113系の記憶はなくて、
1972年にデビューした153系ブルーライナーが
最初の新快速だと思っていました。
急行料金なしに
急行用車両に乗れたのがうれしかったですね。
1980年に新快速専用車両としてデビューした
117系も結構インパクトがありました。
1987年JR.となり2年後221系が、
新快速の顔となったわけですが、
衝撃的だったのは1995年登場の223系1000番台です。
なんといっても
130km/h運転をスタートさせたのですから…。
それにしても25年間に、これだけ
車両を入れ替えているのもすごいですね。
対して2020年4月現在、
25年たった今も新快速の主力として活躍する223系。
網干総合車両所(以下網干区)の223系は、総勢652両。
225系が勢力を拡大しつつあるとはいえ
圧倒的な存在感と言っていいでしょう
今回はそんな223系の中から珍車をピックアップしました。
223系7000番台です。2008年に登場しました。
7000番台を名乗るのは
クモハ223-7000とモハ222-7000の2形式、
5両ずつで計10両。
全体の2%以下です。
加えて彼らは新快速としては使いません。
130km/h運転ができない221系と
性能をあわせたからです。
なんだこりゃ?

7000番台のことについてお話しする前に
223系についてみてゆきます。

223系は、221系に次いで
JR.西日本が開発した近郊型電車です。
車体が軽いステンレス製となり、
VVVFインバーター制御方式を採用するなど、
221系から大きく変化しました。

1994年にデビューした223系(0番代)は日根野区に配置,
1994年9月の関西国際空港 開港にあわせて運行される
関空快速(大阪(京橋)〜関西空港)用に導入されました。
現在は,和歌山ゆきの紀州路快速と併結して運転されています。

そして翌年、
アーバンネットワークの切り札として投入されたのが、
新快速用に開発された223系1000番台です。

130km/h運転を可能にするモーター(WMT102)は
出力220kwとなりました。
これは113系などに装備されたMT54の2倍となる出力です。
221系の台車は国鉄時代に開発されたDT50の発展型でしたが、
1000番台では、高速運転に対応すべく、
新設計した軸バリ式ボルスタレス台車に
ヨーダンパ付きのWDT56となり、
足回りを固めました。
速く走ることばかり考えているわけではありません。
車体は3ドアを継承しながらも、
出入り口スペースに余裕をもたせ
乗降時間の短縮を図りました。
また最新のインバーター素子(IGBT)を採用した
主回路システムは1C1M。
M車に機器を集中するなど、
トラブルがあった際の影響を
押さえ込む工夫が凝らされています。
私に言わせれば、
1995年のブルーリボン賞は223系1000番台です。
(ちなみに95年は南海50000系:ラピート)
JR西日本のフラッグシップといってもいい。

彼らが登場した1995年は、阪神大震災の年です。
JR.区間は4月に復旧したのですが、
神戸の街は震災の爪痕がまだ生々しく残っておりました。
そんな当時、
颯爽と走るニューフェースは希望の星でもありました。

1000番台は1995年以降、99年までに、
W編成がG×9本、V編成がC×5本 
計92両製造され網干区に投入されました。

後継となる2000/3000番台は、
新快速全列車を130km/h運転すべく
1999年から増備されました。
ベースとなっているのは当然、1000番台です。
1000番台との見分け方は
車体側面のビートがなくなったという点がありますが、
M車4軸のうち1軸がT軸となる いわば
0.75Mのクモハ223/モハ222-3000番台を
追加したのが,大きな変更点です。
ではなぜ。0.75Mなのでしょうか。
それは ずばり、製作コストの削減です。
1999〜2000年に製造された1次車(0.75M車)は、
わずか2年の間に232両が増備されました。
5年かけて92両作られた1000番台と比べると
10倍以上のハイペースです。
0.75Mでも必要な性能を得られるのなら、
モータの数を減らして
制作コストを抑える効果は大きいというわけです。
ところが、これら3000番台は
2次車(2003年〜)以降製作されず、
1000番台と同様のMT構成となる
2000番台が増備されました。
(このことについては後にお話しします。
何はともあれ、)
2005年に、網干区の223系は、652両が勢揃いしました。
内訳は
W編成がG×39本、J編成がE×14本、V編成がC×64本
うち3000番台を含む1次車の編成番号は、
W10〜27、V6〜28です。 
(8連×18、4連×22 232両)
なおW1〜9、V1〜5は1000番台。
他は2次車〜となります。
ということは、共通運用ということですよね。

ところが、2008年から、221系と併結運転をするため、
あえて高性能な223系の性能をを221系並みに抑える
という改造を施すことになりました。
221系が網干区から撤退していれば、
存在しなかったでしょう。
もっとも、網干区が担当するのは
「新快速」だけではありません。
もう一つの柱である「快速」もそうです。
130km/h運転ができずとも、
「快速」なら221系で十分やりこなせます。
それならば、これを活用し続けるべきです。
その数が足らないというのなら 223系を併結すればよい。

そこで選ばれたのがV20〜26編成(C×7本)です。
0.75M車である3000番台を含んでいます。
221系と同性能であることを識別するために
車番は種車に+4000しています。
よって0.75Mの3000番台は7000番台となります。
これが今回の珍車、223系7000番台です。

はい。これにて おしまい…。

としてもよかったのですが、
いくつか疑問が沸いてきました。
どうか もう少しおつきあいください。

6000/7000番台となり
もはや共通運用はできないはずなのに、
なんと編成番号はそのままです。
ということは、
現場ではちゃんと区別しているということでしょう。
網干区では225系の増備も進み、
さしもの221系も網干区から姿を消す日が
近づいているように思われます
その際は7000番台も
3000番台に復帰することになるのでしょう。
その日のためにそのままにしているのだと思いました。
実際、旧番号(3000番台)に復帰する例も現れました。

ところが221系と併結運転することもない
6000番台がいるのです。

彼らは、2008年3月に開業した「おおさか東線」で
( 朝夕ラッシュ時のみですが),
尼崎−奈良で運転される
(JR東西線、おおさか東線経由)
「直通快速」用に投入されたものです。

よって彼らは
東西線用にM車にパンタグラフを2台載せています。
もちろんこのことで
6000番台を名乗っているわけではありません。

宮原区に新製配置された当時、彼らは
2000番台(5.6次車 MA編成:4連×12=48両)でした。
彼らは,おおさか東線での
試運転・習熟運転から使用を開始しましたが,
おおさか東線開業までに
全車車番を+4000して
6000番代に改造・改番されています。

当時、丹波路快速などに運用されていた
221系と共通運用するためです。
ところで、
この時の221系(C編成4連×11=44両)なんですが、
網干区からの借入車です。
だから編成番号も不揃いです。

借入ということは
長く使う気はなかったということでしょうね。
実際、今は221系はおらず、
223系と225系がその任に当たっています。

でも、丹波路快速には221系の性能で十分ですよね。
ハイスペックの2000番台を
わざわざ6000番台にして性能を合わせたわけです。
そして、もはや221系がいないのにもかかわらず、
宮原区では6000番台のまま使っているのです。

もったいない。

2008年当時、新たにデビューする直通快速に
223系を投入するのは納得できます。
221系は、今もなお大和路線の主力です。
221系では「直通快速」をアピールできません。
それどころか誤乗車される可能性もあります。
しかし、ここは新車ではなく1次車すなわち
0.75Mを含むV編成を転用すべきではなかったか
と思うのです。

「1次車(0.75M)でも2次車〜(1M)でも
大差はない。
1次車でも必要な性能を満たしているから、
同じV編成として運用している。」
ということですか。
大差がないのなら
2次車以降も0.75Mのまま増備すべきでしょう。

東西線では4扉車に統一することになり,
2011年3月から,直通快速も207系に変更,
宮原区の223系は
大和路線・おおさか東線・東西線から撤退,
丹波路快速・快速に専念することになります。
これを機に
1次車とトレードすることも
できたのではないでしょうか。
221系が宮原区から姿を消したときにも
1次車には声がかかりませんでした。

ところで必要な性能とは
どういう点から判断されるのでしょう。
冒頭でもご紹介しましたように 新快速は
大阪駅と京都駅において
日中毎時0分、15分、30分、45分発
という設定で運行しています。

しかし、これは1972年から、
つまり153系ブルーライナーの時代からそうなのです。
いうまでもなく
153系は130km/h運転なんてできません。
このダイヤが可能だったのは、
当時大阪−京都間をノンストップで走ったからです。
最高速度がたとえ低くとも、
途中止まらずにトップスピードで
走り続ければいいのです。
現在、高槻にも新大阪にも新快速は停車しますが、
そのためにはトップスピードを
115km/hにする必要があります。

2000年3月、新快速全列車が223系化されました。
米原−姫路間を130km/h運転することで
米原−姫路間は9分短縮の2時間16分。
大阪−京都間は27分で運転できることになりました。
よって京都駅での毎時0分、15分、30分、45分発
という設定は変更され、
毎時2分、17分、32分、47分発となったのです。
そして現在も…といいたいところですが、
毎時0分、15分、30分、45分発に戻されています。
どうしてでしょうか。

それは、2005年4月の
福知山線 塚口−尼崎 での脱線事故があったからです。
尼崎がハブとなるアーバンネットワークは、
接続がよく考えられていて、乗り換えもスムーズです。
しかし1本でも列車が遅れれば、接続がうまくゆかず、
その遅れは拡大し、
なかなか収束できないこともありました。
そのプレッシャーが無理な回復運転につながり、
悲劇を生んだのだといえるでしょう。

2020年現在、大阪駅でも京都駅でも
毎時0分、15分、30分、45分発という設定です。
見た目1972年と変わりません。
130km/h運転しなくても
このダイヤは維持できます。

しかし、
遅れが生じたとき130km/h出せるということは、
運転手さんに
心の余裕を与えていることは間違いないでしょう。
ネットで見つけた運転手さんのコメントをみると
「車両が軽く、モーターのトルクも大きいため、
加速がとてもよいです。とくに、
時速80kmくらいからの伸びはすごいです。」
とありました。加速力は大事です。
短時間の内にトップスピードである130km/hに達し、
長くこれを維持したまま走り続けることができます。
さすれば、
所要時間も短くなり、無理なく遅れを回復できます。
加えて、 大阪駅での停車時間は2分と
ゆとりを持たせています。
これは目に見えない大きな進歩です。
2次形で0.75Mを1Mに復帰したのは、
この「ゆとり」を求めたがゆえでしょう。

なるほど、合点がいきました。

安全性を確保するために「ゆとり」は欠かせない。
このことを気づかせてくれたのは
他ならぬ福知山線のあの事故です。
221系と性能を合わせたとはいえ、
わざわざ0.75Mの7000番台を福知山線に
転属させるわけにはいかないですね。

参考文献:「関西新快速物語」
JTBキャンブックス #785, 2011年
寺本光照、福原俊一
−鉄道車両写真集−
JR西日本 223系1000番台  
2000/3000番台  
6000.7000番台


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