2015/06/15 UP のHP | ||||||||||||||||||||
J鉄局TOP>珍車ギャラリー>広島電鉄 旧800形 801号
旧800形と神戸市電かねてから私は鉄道車両写真集と題して車輌の画像をUPしていますが、ここ数ヶ月、路面電車の画像を形式別にまとめ直す作業を行っています。 そこで目にとまったのが、広島電鉄の801号です。 今、現役で活躍している801号ではありません。 そこで、旧801号ということで、そのプロフィールを調べはじめたのですが、 なかなか彼を紹介する文献に行き当たらないのです。 その理由は明快です。 それらの文献が編集されたときには、すでにその姿を消していたからです。 つまり旧800形は短命だったのです。 被爆電車である650型の後継車両となる旧800形は、広電が戦後初めて導入した新車です。 しかし、早くも1972年には廃車が始まり、 1976年には801(803を改造、改番)のみになってしまいました。 今回、この801号の画像がたまたま見つかったため、とり上げることにしたのですが、 この画像もすでに現役を退いた姿であると思えます。 広島電鉄は、古い電車を大切に使い続けている鉄道会社です。 他所からやってきたものも含めて、戦前に製造されたものを今なお使い続けています。 そう、齢70年を超える車輌もいるのです。 ところが、旧800形の大半は20年ほどで姿を消し、 改造工事を施して生き延びた801号でさえ1983年にお役御免になっているのです。 なにがいけなかったのか? 1951年に10両製造された旧800形には共通する車体を持つ仲間がいます。 京都市電800形(801〜90)と伊予鉄道モハ50形(1次車:51〜 )です。 当時、戦後の物資不足で車両の製作も思うにまかせない時代でした。 路面電車には、いわゆる運輸省規格形といわれる共通仕様の電車はありませんが、 車体を共通化することで、彼らの製造メーカーであるナニワ工機はこの難局を乗り切ろうとしたことは間違いないでしょう。 そんなわけで、兄弟車のプロフィールから広島電鉄旧800形に迫ってみたいと思います。 京都市電800形の車体は、11,950 mm:2,430 mm:3,810 mmの3サイズ。 計測ポイントの違いか、高さのみ広島電鉄800形の3,465 mmと差がありますが、 長さ幅とも同じで、台車間距離、オーバーハング、ドア幅までもが同じです。 妻面こそ傾斜角のついた丸妻流線型構造となっているのでイメージは違いますが、 ともに張り上げ屋根の半鋼製車体をもちます。 前後扉であることも勿論同じで、窓配置はD(1)7(1)Dです。 (D:客用扉、(1):戸袋窓、数字:窓数) メカ的にも、同じです。 直接制御の吊り掛け電車で、台車もブリル77Eタイプ。 ということで、ともに目新しいところはありません。 1968年からのワンマン化改造工事に際しては、 801〜70がその対象となり、1800形1801〜70に改められました。 その際、後部扉を閉鎖して中央に降車扉を新設しています。 最前部にいる運転手が、戸の開閉を操作するのです。 扉が遠くに位置していたのでは、見通しがききません。 ワンマン化された京都市電1800形は、主力車輌として活躍し続けました。 1977年までに27両が廃車となりましたが、 残る43両は、1978年9月の京都市電全廃をもって姿を消しています。 しかも、うち6両(1844・66〜70)が阪堺電気軌道に払い下げられてモ251形(251〜56)となっています。 彼らも1995年までに全廃となりましたが、40数年の永きにわたって活躍したわけです。
なんと彼らはまだ生き残っていて、ばりばり現役で働いているのです。 伊予鉄道モハ50形の車体は、11,950 mm:2,430 mm:3,780 mmの3サイズ。 これまた計測ポイントの違いか、高さのみ広島電鉄800形の3,465 mmと差がありますが、 長さ幅とも同じで、台車間距離、オーバーハング、ドア幅までもが同じです。 軌間が1067mmmであることは大きな違いですが、 少なくとも外観はともに張り上げ屋根の半鋼製車体でイメージ的にもよく似ています。 メカ的にも、同じく、直接制御の吊り掛け電車で、台車もブリル77Eタイプと、オーソドックスな構成です。 ワンマン化改造工事に際しては、 京都市電800形と同じく、後部扉を閉鎖して中央に降車扉を新設しました。 ただ違うのは、直接制御を間接非自動制御に改めた点でしょう。 京都市電2600形についていた日車製NC-579を取り付けたものですが、 モハ50形の後期形にあわせ、操作性の統一を図ったという点は見逃せません。 勿論冷房化もなされました。 冷房改造は後期形も含め、1981年から着手され、3年で完了しています。 このようにして、モハ50形として、仕様を合わせてゆくというということをしているのです。 さて、広島電鉄の旧800形です。 前後扉でワンマン対応することが困難だったのはわかりますが、 ほとんどの車両は、前中扉に改造されずに、 1972年3月には805〜10が、1976年1月には801、02、04、05の4両が廃車になりました。 1975年の千田車庫の火災で車両不足になったため、 803のみは前中扉に改造され801に改番、ワンマン化されたのですが、 これも冷房化されることなく、1983年9月に廃車されてしまいました。 前述のように、まだ生き残っている同型車がいるのに、なぜ広島電鉄の800形だけが不遇をかこつことになったのか。 それには神戸市電の廃止が大きく関わっているようです。 神戸市電が全廃されたのは1971年。 1150形は7両(8両中)。1100形についてはその5両すべてが、 500形更新車についても18両(21両中)が広島電鉄へ譲渡されました。 使えるものは、ほぼ根こそぎ移籍させた感すらあります。 広島電鉄570形となる神戸市電500形は、1955〜56年にかけて更新改造がなされ、書類上は新造扱いになっていますが、 1924年製の神戸市電J車がベースとなる年代物の車両です。 広島電鉄1100形は神戸時代と同じ1100形を名乗ります。 1100形のうち01〜03は1954年に神戸市交通局で、04.05は1960年に川崎車両で製造されました。 500形同様、ツリカケ駆動の直接制御車です。 広島電鉄1150形も神戸時代と同じく1150形を名乗ります。 51.52は1955年に53〜57は1956年製造されました。52のみナニワ工機製で、他は川崎車両製です。 サイズは1100形を踏襲していますが、当初51.53〜57は直角カルダン、52は平行カルダン駆動。制御器は間接制御式でした。 しかし取り扱いに難があり、1100形に性能を合わせ、ツリカケ駆動の直接制御に改めました。 台車も古いブリル77E、汽車L形に換装されています。 ちなみに1100形04.05が1960年製なのは以上のようないきさつがあるからです。 以上のように、様々な過去を持つ車輌たちですが、 結果として、いずれも扱いに慣れたレガシーデバイスをもつ各車の車体は、 旧800形よりは新しく、大型で、ワンマン化しやすい前中扉でもあることから、大量導入に踏み切ったのは、納得のゆくところです。 その多くは、外部塗装などもそのままで、神戸時代の面影を留めた形で永く広島で活躍していたのでご記憶の方は多いのではないでしょうか。 神戸市電のファンにとって、広島電鉄はサンクチュアリともいうべき存在だったように思います。 しかし広島電鉄はファンサービスのために彼らを導入したのではありません。 路面電車が街の厄介者扱いされていた当時、お金をかけずに輸送力の確保をすることが生き残るためには譲れない道だったのです。 のち神戸組は、1981年に方向幕を大型化。 1983年には冷房改造され、イメージが多少変わってしまいました。広告電車も多く登場するようになりました。 ファンには残念なことだったかもしれませんが、それもこれも、生き残るためです。 現在(2014年)、570形は582を残すのみ、1100形はすでになく、1150形も1156を残すのみとなりました。 しかし路面電車が復権するまでの繋ぎとして、彼らの功績は大きなものがあったと私は考えています。 旧800形は、きっと悔しかったに違いありません。 しかし、このチャンスを広島電鉄がつかまざるを得なかった事情を知って身を引いたのだと思います。 そうでなければ悲しすぎます。 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852 路面電車ガイドブック 1976.6 誠文堂新光社 |
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