2015/03/07 UP のHP | ||||||||||||||||||||
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−64年の歳月を経て、伊予鉄道が引き継いできたもの−
今回の珍車は、伊予鉄道のモハ50形です。 その数を減らしつつあるとはいえ、モハ50形は、松山市内線用の主力車輌です。 これを珍車にするとは、いよいよネタがつきてきたなと思われるかもしれませんね。 しかしよくよく考えてみても、やはりモハ50形は珍車です。 まず、21世紀の今、二桁の車番を持つ営業用車輌は、もはや希少な存在です。 かつて二桁の車番は、ローカル鉄道では当たり前の車番でした。 大手私鉄でも名鉄がローカル気動車に二桁の車番を付与していました。 かなり古いですが西鉄宮地岳線の旧型車もそうでしたし、路面電車タイプでは,東急世田谷線の旧型車に、京阪の80形…。 でもこれらはすべて姿を消してしまいました。 現存するものといえば、事業用車両やケーブル車輌はさておき、思い浮かぶのは、遠州鉄道のモハ30形くらいかなあ。 これもあらかた姿を消してしまいました。 ほか嵐電や江ノ電、そして函館市電のレトロ電車なども二桁の車番です。 でも、これらはレトロ電車にふさわしい番号として二桁番号を与えられたものです。 −−そう、二桁の車番はそれだけで歴史を感じさせるのものなのです。 おもえば、モハ50形の製造初年は1951年です。もはや還暦を過ぎています。 当然、伊予鉄道でも世代交代は進められつつあり、モハ50形は全盛期の33両から、23両へ(2014年現在)と数を減らしてはいます。 しかし、最新鋭の2100形は10両止まりで、モハ50形は、未だ主力として使用されているのです。 これはすごいことです。 さて、そんなすごいモハ50形はどんな電車なのでしょう? 見てゆくとそのバリエーションの豊かさに驚かされます。 この点をとってみても珍車といえるほどです。
モハ50形 初期形(ナニワ工機製) 51-53(1951年製)54-55(1953年製) 市内線用では初のボギー車。 出力は38kw×2 直接制御でした。 56-58(1954年製)59-61(1957年製) 後部扉が車端部から中央寄りに変更されました。 59-61では台車を変更、運転台中央窓も幅広になりました。
モハ50形 後期形 62-64(1960年製)65-69(1962年製) 特に後期形は、見た目が全然違いますね。 3本のリブが特徴のバスボディ型。ナニワ工機製の軽量車体です。 初期形の15.1tに対し12.0tとなりました。 これだけで形式を変えてもおかしくないところですが、中身もまた大きく変わっています。 出力も38kw×2から50kw×2にUPしました。 そして制御器も直接制御から間接非自動制御(三菱製HL-72-6D)に変わっています。 1962年製以降は前扉が1枚扉に戻りました。 70-73(1963年製)74-78(63-65年製) 70番台は帝国車輌製でリブがなくなり自重が13.0tとなりました。 画像をご覧ください。先ほどの後期形62号機と同じ電車に見えますね。 形式も同じモハ50形です。しかし左側の電車には1001と車番が記されています。 何がどう違うというのでしょうか?
1001-1003(1959年:ナニワ工機製)は、呉市交通局の1000形として登場したグループです。 こちらも3本のリブが特徴となるバスボディの手法による軽量車体で、呉市交通局軌道線が全廃となる1967年の前年に移籍してきました。 それにしても62と同じスタイルですね。 こちらは前述したハ50形の後期形(62-69はナニワ工機製)になります。 登場は呉市1000形に遅れること1年。 1000形の影響を強く受けたといわれる3本リブが特徴の軽量車体です。 出力は50kw×2、制御器が間接非自動である点も同じです。 特に62-64と1001-1003とは寸法もほぼ同じで、 このことから、1001-1003はモハ50形を名乗ることになるのです。 ただ1000番台のほうが1t軽くなっていることは見逃せない点だと思います。 呉市電のルートは、川原石〜呉駅前〜呉越峠〜阿賀駅前〜広大橋〜広交差点〜長浜の11.3kmです。 呉線沿いのルートといえばそうなのですが、地図で確認してみると、結構起伏があるのです。 呉線をオーバークロスするところもありますし、現在、休山トンネル(約1.5km)でショートカットされている呉越峠を呉市電は越えていました。 これはもうズバリ山道です。 これといった勾配のない松山市内線とは使用環境が大きく違っていたことを知っておく必要があると思います。 ブレーキはポピュラーなSM-3(直通空気ブレーキ)で、これはモハ50形すべてに共通します。 ただブレーキ弁はというと、1000番台はPV-3ではなくSA-2Mでした。 これはセルフラップ方式といわれるもので、保守が困難という欠点はありますが、ブレーキハンドルの角度に応じてブレーキ力を得られるというもので、 当時高性能な路面電車に採用されたものです。 また呉時代の画像をネットで拝見しましたが、前照灯は正面窓下へそ電 ナンバーの位置もその下にありました。 (なお松山市内線でもしばらくは、このスタイルで使用されていました。) 1000番台は、そのスタイルから、モハ50形後期形62-64と同一視される向きがあるのですが、モハ50形の多様性を示すグループです。 他社局から転属してきたものが、もう一つあります。
81(1963年:日立製)は、南海和歌山市内線321形324として登場しました。 1971年軌道線全廃により移籍、伊予鉄では81の車番となりました。 ところで、なぜ1000番台と違って、こちらは改番されたのでしょう。 それは、鉄道線車両に三桁の車番が割り当てられていたからと思われます。 このようにモハ50形には、様々なグループが存在したのです。 少なくとも4形式に相当するように私には思われます。 さて、バリエーションだけではありません。 長く生き延びたのには理由があります。 初期のモハ50形も勿論、昔のままではありません。 51-55では扉は車輌の両端にありましたが、後部扉が車端部から中央寄りに変更されました。 直接制御は、後期形同様、間接非自動制御に改められました。 日車製NC-579です。これは京都市電2600形についていたものです。 勿論冷房化もなされました。冷房改造は後期形も含め、1981年から着手され、3年で完了しています。(81のみ施工されず。) このようにして、モハ50形として、仕様を合わせ、今を生き抜いてゆく努力が続けられていたのです。 そんな流れにあって、生き残れなかったグループもあります。 もと南海和歌山市内線321形の81です。1987年に廃車されました。 冷房改造の対象から外れたことが大きいですね。 そして、もと呉市電1000形であった1000番台。 前照灯の位置も変え、冷房化もなされました。また一部はブレーキ弁も取り替え、仕様の統一を図りました。 しかし、2000〜2004年に廃車されました。 自慢の軽量車体は、残念ながら痛みが早く、一足先に姿を消すことになったのです。 同じく伊予鉄オリジナルの軽量車体モハ50形後期形(62-65)も2003年より廃車が始まりました。 対して初期形は2005年に56が廃車されたのみです。 ここで、モハ50形初期形が生き延びられたわけをまとめてみましょう。 、 車体は軽いことに越したことはないのですが、それよりも大事なのは頑丈であること。 ただし重すぎては足並みが揃わないので、更新時にはモータを換装し出力アップ、後期形と出力を合わせました。 併せて制御方式も統一し、メンテナンス時の煩雑さを避けるということなど、シンプルなスタイルを目指したのです。 さて2002年3月。 松山市内線で伊予鉄道では初めてのVVVFインバータ制御車両がデビューしました。 モハ2100形です。 アルナ工機(現:アルナ車両)の提唱する超低床型路面電車「リトルダンサー」のタイプSになりますが、 リトルダンサーでなくとも、これらLRTの中で単車車両は珍しい存在です。
ところで、この最新形である2100形なんですが、いくつかの疑問点があります。 低床で乗り降りはしやすいのですが、旧型であるモハ50形に比べても、 2100形はデメリットがやたら目につくのです。 まずは、その重さです。 全長はモハ50形(後期形)の11,500mmに比べ12,000mmと大差はありませんが、自重は12.9tに対し20tです。 半世紀以上前に作られた1951年製のモハ50形初期形でさえ15.8tですから、 この重さがいかに突出しているかがおわかりいただけると思います。 結果、モーター( TDK-6250-A)の出力は60kw × 2となりました。 モハ50形の二割増しですが、せっかくインバータ制御で省エネを謳ってもこれでは…。という感じです。 また、画像を見ておわかりいただけると思いますが、モハ2100形は台車部分を両端に持って行くことで、客室を低床化する構造です。 いいアイデアといいたいところですが、台車部分は運転台が大半を占め、デッドスペースができてしまいました。 またホイールベースが長いことから、カーブが曲がりにくくなり、車幅を200mm狭くせざるを得なくなっている点もデメリットです。 モハ50形の定員80人に比べ2100形は47人と少ないのはこの構造ゆえです。 同じくアルナ工機の提唱する「リトルダンサー」に鹿児島市交通局1000形があります。 モハ2100形と同じく2002年に営業運転を開始したLRTです。 (数ヶ月の差でこちらが日本初の国産超低床路面電車となります。) 運転室付きの車体(A・B車体)の間に中間車体(C車体)をフローティングさせた3車体連接構造となっています(登録上は3車体で1両)。 台車は車体に固定されており、独自に回転しない特殊な構造となっています。 全長 は14,000 mm、車両定員は55人です。重量は19t。 2mも長く、定員も8人多いのに、重量はモハ2100形より1t軽いのです。 車体が折れ曲がる構造ですから、車幅もゆったり2,450 mm。 伊予鉄道もこのタイプにすればよかったのに、とも思えるのですが、そうはしませんでした。 それは、伊予鉄道が鹿児島市電1000形の複雑な構造を嫌い、あくまでシンプルなスタイルを目指したからではないでしょうか。 永く使い続けるために…。その答えはモハ50形にあります。 伊予鉄道のポリシーは引き継がれていたのです。 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852 路面電車ガイドブック 1976.6 誠文堂新光社 |
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