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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>近畿日本鉄道 21000系 21303-21403
−−21303の形式は−モ21304形?− 近畿日本鉄道 21000系近鉄の21000系と聞いて「アーバンライナー!」って、 すぐ言えるお方は、結構いらっしゃるのではないでしょうか? そこで…「近鉄の21603は?」って聞いたら 「アーバンライナープラスの第3編成(03F)の@号車。デラックスシート車!」 と答えられるお方はなかなかのものですね。 まあ、そこまでいかずとも 「21603の、形式は?」とお聞きしたら 「モ21600形」とはお答えいただけるのではないでしょうか。 でも…「21303の形式は?」 とお聞きして「モ21300形」ではなく「モ21304形」 と答えられるお方は、ほぼ病気レベルの近鉄マニアですね。
今回は、なおかつ「なんで 、そうなるの?」 アーバンライナーは、かつて名阪甲特急と呼ばれた「名阪速達特急」のイメージアップバージョンです。 しかし、アーバンライナーの登場以前の名阪甲特急は近鉄の看板特急といえるほどのものではありませんでした。 ここでまず名阪甲特急の歴史を振り返ってみようと思います。 名古屋線はもともとは狭軌で標準軌である大阪線との直通運転は不可能でした。 それが可能となったのは1959年の伊勢湾台風による復旧工事に併せ名古屋線を改軌することとなったからです。 災い転じて福となすというわけですね。 そして同年12月、近鉄は名古屋 - 上本町間直通特急(名阪特急)をデビューさせました。 花を添えたのは「ビスタカー」10100系です。 1960年には、名阪間無停車のノンストップ特急が9往復設定されました。 これが「甲特急」と呼ばれることになるのです。 まあ実際には伊勢中川駅でスイッチバック(折り返し)していました。 文字通りのノンストップ特急となるのは久居川短絡線が開通した1961年。 名阪甲特急が同線を通過するようになってからです。 それにしてもスピーディで的確な施策ですね。 結果、名阪甲特急はその後、順調に名阪間輸送のシェアを伸ばし、 1963年には、近鉄の7割に対し。国鉄は3割。 名阪特急は、近鉄の独擅場となってゆくのです。 しかし、1964年10月。近鉄は大きな転機を迎えることになります。 東海道新幹線の開通です。「ひかり」は名阪間を1時間あまりで走ります。 名阪甲特急は、到底、勝負になりません。 近鉄は新幹線接続駅から、伊勢志摩、奈良、吉野といった、沿線に存在する観光地への輸送に力を入れるようになりました。 近鉄の特急ネットワークはこうした経緯で誕生したものです。 1970年.3月。名阪甲特急は息を吹き返すチャンスを得ました。 万国博覧会にあわせて、近鉄は難波まで延長開業。 大阪の中心街であるナンバを新たなターミナルとしたのです。 しかし、折悪しく悲しい事件が起こってしまいます。 1971.年10月、大阪線垣内信号所付近で特急列車同士が正面衝突。 死者25名、重軽傷者220名以上を出す大惨事となりました。 青山越えとなるこの区間は当時単線だったのです。 近鉄はこの事故での反省をうけ、1975年11月、新青山トンネルを開通。 大阪線の全線複線化が達成します。 ところが、この全線複線化に伴うダイヤ改正(1976年3月)では、 「阪伊特急」を中心に増発・速度向上が行われる一方で「名阪特急」は甲・乙ともに削減。 「名阪甲特急」については1978年頃まで、なんと終日2連での運転となってしまうのです。 失われた信用を取り戻すのは大変なことなのですね。 それでも、少しずつ、「名阪甲特急」にお客が戻ってきました。 1970年代後半から国鉄が相次いで値上げを行ったことから、再び名阪特急が注目されるようになってきたのです。 そして1985年頃には4〜 6両編成も運転されるようになりました。 ところが、1987年4月。国鉄は分割民営化されてJRとなります。 新生JRという新たな脅威に立ち向かうためにも、近鉄では「名阪特急」にさらなるテコ入れをしなければ、 せっかく増加しつつあるリピーターを手放すことになりかねないという状況になったのです。 近鉄では、それまでとは全く違う新しい発想の新車両を投入するということになりました。 それが1988年3月にデビューすることになる21000系です。 43度の傾斜をつけたスマートな先端部には大きな曲面ガラスが取り付けられ見るからに速そうです。 いえいえ外見だけではありません。 125kWモータを搭載するオールMの強力編成で、民鉄初の120km/h運転を可能にしました。 「アーバンライナー」は、名古屋〜大阪(鶴橋)間を1時間59分で結び、2時間の壁を突き崩したのです。 私事になりますが、アーバンライナーについては、特別な思いがあります。 私の女房は浜松人です。結婚したのは1996年です。 結婚式場をどこにするかは、ちょっと問題になりました。 中間をとって名古屋ということも考えましたが、知り合ったのが関西だったことも併せて大阪で挙式することにしました。 場所は上本町駅至近のホテルです。 ですから私はお父上に名古屋からアーバンライナーで来られることをお薦めしました。 浜松から新幹線で大阪入りすることを考えておられたお父上は、案の定、怪訝な顔をされました。 しかし、浜松に停車する「ひかり」は少なく、結局名古屋で乗り換えなければなりませんでした。 また、新大阪からは、地下鉄ということになりますが、御堂筋線は最多混雑路線です。 上本町へは、難波から再度、近鉄に乗り換える必要があります。 大阪に着いてからの面倒くささ考えれば、アーバンライナーはリーズナブルな選択なのです。 アーバンライナーは新幹線に較べて時間のロスは確かにあります。 しかし、名古屋-大阪間が2時間を切るという謳い文句は、大きな効果がありました。 お父上は納得され、親族ご一同、彼女の職場ご一同を率いてアーバンライナーにご乗車くださいました。 回数券を駆使することでかなり節約できたこともさることながら、 後日、ご一同様から、 「「楽だった。快適だった。」とお褒めの言葉をいただいたよ。」 とおっしゃられたことが、とてもうれしかったのを覚えています。 (ちなみに私は近鉄の関係者ではありません。念のため) 閑話休題 デビュー以後、かくのごとく潜在的な需要を堀り起こしたアーバンライナーは近鉄の看板特急となり、 その存在感を確固たるものとしてゆきます。 しかし、その過程は一様ではありません。 ということで、まず21000系デビュー当時の編成を見てみましょう。 21000系1次車 6両編成 編成表 (参考;私鉄車両編成表88年版) ←上本町E 名古屋@→ モ21100-モ21200+モ21300-モ21400+モ21500-モ21600 Mc-M+Mc-Mc+M-Msc 1次車は01〜.03Fの3編成、合計18両でスタートしました。 中間ユニットである モ21300-モ21400にご注目ください。 切り妻の貫通路付きではありますが、各々本線での運転が可能な運転台を備えたMc車となっています。 このことで3通りの4連が組めるのです。 もちろん単独2連での走行も可能です。 21000系の製作当初は、「6連固定を作っても大丈夫か?」という危惧があったのですね。 しかし、それは杞憂にすぎませんでした。 2年間の間に8編成を全て6連固定で増備。 21000系 2.3次車 6両編成 編成表 (参考;私鉄車両編成表90年版) ←上本町E 名古屋@→ モ21100-モ21200-モ21304-モ21404-^モ21500-モ21600 Mc-M-M-M-M-Msc 2次、3次車は、04〜.11Fの8編成 21000系は,一気に48両の仲間を増やし、近鉄特急のフラッグシップに駆け上がってゆくのです。 さて21000系にはモ21000形は存在しません。 100番台から、アーバンライナーは6連が基本だということに気づいておられた方もいらっしゃるでしょう。 ですが、前述したように名阪甲特急は一時、終日2連という厳しい時代があったのです。 まずはその需要を見極めてから、という慎重な姿勢が、モ21300-モ21400から感じられるのです。 さて、かつてこのように4連でも運行できるアーバンライナーでしたが、好評のうちに編成両数も増え続け、 2003年には21020系「アーバンライナーnext」がデビュー。 2003年からは21000系も「アーバンライナーnext」の室内空間をプラスした「アーバンライナーplus」としてリニューアルしました。 21000系特急車(アーバンライナーplus) 6両編成 編成表 (参考;私鉄車両編成表11年版) ←上本町E 名古屋@→ モ21100-モ21200- モ21304-モ21404+モ21500-モ21600 Mc-M-M-M+M-Msc そして、現在は、最大8連で運行しています。 その増結用に準備されているのが以下の2連です。 21000系特急車(アーバンライナーplus) 2両編成 編成表 ←上本町C B→ URBAN LINER モ21700--モ21800 Mc-Mc 01〜.03Fの3編成が在籍します。 700、800番台ですが、流線型の先頭車であるE号車に増結されることはありません。 6連の編成表に、+で示した部分、すなわちAB号車の間に連結され BC号車となります。 この2連×3本が、今回ご紹介する珍車を生み出した鍵となる車両です。 かつてはこの車両こそが「モ21300-モ21400」だったのです。 もう一度、21000系 2.3次車(90年)の編成表を見てみましょう。 04F 以降のBC号車が「-モ21304-モ21404-」となっているところにご注目ください。 運転台が不要となったため、新形式が起こされているのです。 というわけで、現01〜03Fに連結されているBC号車。 上の画像でもご確認いただけますが、運転台が付いていません。 すなわち現21301〜03+21401〜03は 2代目です。 21311+21411よりあとに補充された若い車両でありながら、 編成毎に番号を揃えたためにこういうことになりました。 形式がモ21304形+モ21404形となっているのはそういうわけなのです。 参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1989年版 No512 鉄道ピクトリアル 特集 近畿日本鉄道 2003.1 No727
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