2015/04/15 UP のHP | |||||||||||||||||||
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−土佐電気鉄道が自社で製作した路面電車 200形 215〜221−
前にバラエティーに富む路面電車として伊予鉄道のモハ50形を取り上げました。 かつての伊予鉄道は、鉄道線車両に対し、軌道線車両は50形としていた向きがあったので、バラエティーに富むのは当然といえばそうです。 さて同じ四国に、これまたバラエティーに富む路面電車がいます。 土佐電気鉄道の200形です。 少しばかり伊予鉄道とは事情が違うようです。 200形は1950〜57年にかけて製造されました。 201 〜05(1次車)は日立及び帝国車両、206〜10(2次車)及び211〜14(3次車)は日立、215〜221(4次車)は自社工場での製造です。 200形は冷房車・非冷房車/パンタグラフ車・Zパンタ車/間接制御車・直接制御車とバラエティーに富んでいるのですが、 製造元との整合性はありません。 すなわち201.02は1980年に冷房改造されましたが、203〜は未施工。 201 〜 210、217、218、221はZパンタ、211〜216、219〜220はパンタグラフ。 211・212・219 〜 221は間接非自動制御(HL)それ以外は直接制御車。 という具合です。 台車も6つの型式が混在していますので、当然、重量も違ってきます。 それどころか、車体寸法・定員も車両によって違いがあるので捉えきれません。 そんな中から今回は、自社工場製の200形をピックアップしてみたいと思います。 今回のヒーローはそのトップナンバーである215号機です。 自社製の200形には、冷房改造車は存在しませんので、 まず、200形に制御方式が二つあった理由からお話ししたいと思います。 1950年代の路面電車といえば、直接制御が普通です。 路面電車は鉄道線車両と比べて、低床車となりますので、床下スペースが限られています。 抵抗器のように かさばるものはコントローラーとともに一体化してしまえばコンパクトになりますし、配線の手間も省けシンプルです。 ただし、2両以上つなげることはできません。 間接制御を取り入れていたのは連結運転すなわち総括制御をするためだったのです。 ここで土佐電気鉄道の歴史を振り返ってみます。 土佐電気鉄道には安芸線という鉄道線がありました。 これは、1924年 高知鉄道により、後免-手結間が開業したのが始まりです。 1930年に後免 - 安芸の全線が開通しました。 一方、軌道線は、旧土佐電気鉄道が開業しました。 戦時中に土佐電気(←旧土佐電気鉄道)の軌道線部門を合併した高知鉄道は戦後(1948年)社名を土佐電気鉄道に復帰します。 そして、新生土佐電気鉄道は翌1949年に安芸線を全線電化することになるのです。 すぐさま軌道線車両による安芸線直通運転が始まったわけではありませんが、 その5年後の1954年。土佐電気鉄道は直通列車をスタートさせ、 翌1955年には直通運転区間を安芸にまで延長しました。 ちなみに路面電車が鉄道線に乗り入れてゆくといえば広島電鉄の宮島線です。 これは1958年から実施され本格的な運用は1961年からです。 土佐電気鉄道の方が早いのです。 そして、このとき起用されたのが、200形です。 ただし、安芸線は単線です。列車本数が限られます。 200形1両の単行運転では、輸送力が不足します。 ここで連結運転の必要性が生まれるわけです。 こうして200形間接制御車が登場しました。 1960年には安芸発の列車1日30本のうち、市内直通は8本だったそうです。 (他に安芸線内区間運転2本が市内直通) 直通列車はその後も増えてゆき、新型となる600形にも間接制御車が導入されました。 輸送量が大きい分こちらの方が、重宝だったようです。 軌道線車両は最大3両連結で直通運行していました。 しかし、安芸線自体の経営状況は思わしくなく、1974年 安芸線は廃止。 200形間接制御車は他車と性能を合わせるため、直接制御に変更、連結器も外されてしまいました。 結果、200形に間接制御車は存在しなくなったのですが、 鉄道線乗り入れのパイオニアとして、貴重な経験を土佐電気鉄道はこの200形で得たということになるでしょう。 そして、そんな200形を自社でも製造していたということは、もっと注目されてもいいような気がします。 地方鉄道が自社工場で車輌を新造することは例がないわけではありません。でも、レアケースです。 まして200形に課せられた使命は鉄道線への乗り入れ。 当時の担当者は意を決して事にあたられたことと思います。 そうそう集電装置が、混在しているというのもポイントととしてあげました。 まあ、これについては都電7000形改もそうですね。 種車についていたビューゲルを引き継いだままのものもあれば、パンタグラフやZパンタに取り替えられたもの…と様々でした。 土佐電気鉄道の200形についていえば、パンタグラフとZパンタだけですから、バリエーションというまでのこともないと思われるかもしれません。 しかし、自社製200形の6両についてみてゆくと、これらが単なる日立製のデッドコピーではないということに気づかれると思います。 是非当局の鉄道車両写真集でご確認ください。パンタグラフ、Zパンタ、それぞれにバリエーションがあるのです。 床下機器についてその詳細はわかりませんが、土佐電気鉄道の現場ではこの200形を基に様々なノウハウが得られたに違いありません。
そしてその自信から後継機の600形を自作することになったのだと思います。 また土佐電気鉄道では、1990年から諸外国の路面電車を、それも歴史的車輌を運行させています。 創業85周年記念事業とはいえ、実際に動かすということは大変なことです。 そのアイデアを実現させる自信もまた200形にあったのではと私は思うのです。 215号機は、哀しいかな2005年12月の事故により休車、のち解体されてしまいました。 しかし、トップの画像を見ていただければお解りいただけるでしょう。 他ならぬ215号機に、土佐電気鉄道は復活塗装を施しています。 200形を自作しようと決意した当時の心意気をも復活させたい。 そんな思いが込められているような気が私にはするのです。 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852 路面電車ガイドブック 1976.6 誠文堂新光社 |
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