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モハ110 大平台駅 2001.8.13
箱根登山鉄道の歴史は明治21年に開業した小田原馬車鉄道に遡ります。
しかし当時の軌道は現存路線とは別のもので、この小田原電気鉄道軌道線に連絡する
我が国初の登山鉄道ともいうべき箱根湯本−強羅間が開通したのは大正8年のことです。
66.7パーミルの碓氷峠をしのぐ80パーミルという急勾配(=12.5mで1m登る)を
自車のモーターの力だけで登りきるのですが、
途中3カ所のスイッチバックに加え、
R30(半径30m)という急曲線もこの路線のただならぬ所を感じさせます。
関東大震災による一年あまりの休止期間を乗り越え、
昭和3年に電力部門を分離、箱根登山鉄道となります。
昭和10年には軌道線の一部を廃止し現在の路線(=鉄道線)となる
箱根湯本−小田原間が完成しています。
現在のように小田急が箱根湯本まで乗り入れてきたのは昭和25年。
今やこの区間は小田急の一支線といってもいい状態で、
登山電車は,朝と夜以外に 車庫のある入生田への回送に使うことを除けば、
まず走ることはありません。
追加情報;2007年8月 入生田−小田原間の三線区間は、1067mm線のみに変更され
小田原駅の登山線ホームも撤去されました。
こんな谷間の温泉町に11両編成のロマンスカーや6両編成の通勤電車さえガンガン走ってくるのは、
さすが東京近郊の観光地と思わず唸ってしまいます。
登山電車も今は、3両編成が基本です。箱根湯本−強羅間8.9Km、標高差445mを
約30分かけて運行するのですが、登りも下りも所要時間は、ほぼ一緒です。
人も電車も変わらず、山を下ることの方が実は大変で、技術も気力も求められるものなのです。
そんなわけでブレーキは4種類もあります。
通常のエアーブレーキに加え、モーターを発電機にしてブレーキ力を発生する電気ブレーキ、
留置用の手ブレーキ。
そして、レールにブレーキシューを直接押しつけるという、日本では当線だけの圧着ブレーキです。
当然、ほっとけばレールはすり減るばかり、そのため当線では、水をまきながら走るのです。
「えっ、そんなことをして滑らないの。」と思われるかもしれませんが、
普通の鉄道では、油を塗りながら走っているので、
さすがにそんなことは、できないとお考えいただいた方がいいかもしれません。
ちなみに電車の前後には、350L入りの水タンクがあるのですが、一往復でカラになるそうです。
また、停電になり制御ができないなどということになれば、大惨事となります。
バッテリーもフローティングタイプとよばれる、架線電圧の変動に左右されないものとなっています。
追加情報;2007年7月 私が乗車した下り登山電車が、雷雨のため停電となりました。
その時のドキュメンタリーを、J鉄局の鉄道ブログ「雷雨、停電、登山電車」でご覧ください。
箱根の山へ登るのに、バスや自動車ならこんな苦労をすることもないわけです。
事実、観光客の大半は、鉄道を利用することはないでしょう。
しかし多くの地方鉄道が、乗客減に悲鳴をあげている現状からすれば、
箱根登山鉄道は、よく健闘されているのではないでしょうか。
「あじさい電車」も、集客のための地道な努力の賜物と言えるでしょう。
6月から7月のシーズンには、ライトアップもされているそうですが、一度訪ねてみたいものです。
切符も自動販売機のものに変わりつつあります。
でも大手私鉄のような運賃区間表示形ではなく、駅名表示形だったのが
いかにも鉄道の旅をしているって感じでうれしかったのですが、
とうとう運賃区間表示形になってしまってました。
それでも、私にとって、箱根の山は登山電車の山です。
有形登録文化財ともなった早川鉄橋をゆく登山電車の姿は、本当に絵になります。
いつまでもこの勇姿を残して欲しいものです。
モハ2002 入生田駅 96.3.28
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