|
クハ2004×3連 大場駅 89.4.29
伊豆箱根鉄道は、駿豆線(19.8km)と大雄山線(9.6km)の2つの路線からなる地方鉄道です。
26.8kmも離れた小田原と三島をそれぞれ起点とするこれらの鉄道が本来同じ鉄道会社として
生まれたはずもなく、大雄山線は大雄山鉄道として1925年に小田原(現緑町付近)−大雄山間が開業。
駿豆線は豆相鉄道として1898年に蒸気動力で開業、
のち1918年には電化、1924年には修善寺までが開通しています。
さて駿豆線は1912年には、沼津−(現)三島広小路付近間に軌道線を運行していた
駿豆電気鉄道に吸収合併されていて名前も変わっていたわけですが、
1941年戦時統制により駿豆電気鉄道は、大雄山鉄道を合併し、
同じ鉄道会社として運行することになり現在に至っています。
この時、相模の国にある大雄山鉄道を合併しながら、駿豆鉄道と改称されたことについては、
軌道線の存在が重きをなしていたのでしょう。1963年に軌道線は廃止されていますが、
その6年前に現在の伊豆箱根鉄道と改称されているのには、
当鉄道における力関係の変化があったのではと思えます。
ところで、駿豆とは、駿河と伊豆を意味するわけですが、
駿豆線が、全線伊豆の国のみを走っているのにこう呼ばれるのは、このような歴史があったからです。
あっ!それから忘れてはいけないのは、丹那トンネルの開通による東海道線のルート変更です。
ご存じの通り、丹那トンネル開通以前は御殿場線が、東海道本線だったのです。
その時点での(旧)三島駅は、現在の御殿場線下土狩駅で、駿豆線はここを接続駅としていたのです。
ちなみに下土狩駅は駿東郡長泉町にあります。名前に偽りなしです。
私が、初めて駿豆線を訪れたときは、いわゆる「赤電」の全盛期でした。
修善寺等の観光地を抱える駿豆線にはJRの特急「踊り子」も乗り入れており
伊豆観光のメインルートの一つといっていいでしょう。
一方大雄山線は、富士山が眺められるということもなく地味なローカル鉄道ですが、
はじめて大雄山線を訪ねたときは、旧型国電の天国で、
「すごい!すごい!」と感激しながらシャッターを切っていたのも懐かしい思い出です。
現在、大雄山線は18m車。駿豆線は20m車とサイズに違いはありますが、両路線とも、
ステンレス製の新性能車(オリジナル)も走っており、近代的な地方鉄道の趣となっています。
さて左の切符は、大雄山線の車内補充券ですが、
車内ではなく、社内切符っていうのがユニークですね。
国鉄や小田急への連絡切符も、社内で、 もとい、車内で、買っておくべきでした
モハ165 大雄山駅
|
珍車(JR/JNR)へ 珍車(私鉄/都市鉄道編)へ TOPへ 切符INDEXへ リンク集へ |
|