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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>叡山電鉄 デト1000形 /京福電鉄 モト1000形
デトもモトも、もとは同じ −叡山電鉄 デト1001 と 京福電鉄 モト1001−先日、最後の新造ポール集電電車として、京福電気鉄道(嵐電)モボ301形をご紹介したわけですが、正確に言うと「旅客用(但しトロリーバスを除く)としなければならないことが判りました。 それは、同じく京福電気鉄道(嵐電)に存在するモト1000形と兄弟会社ともいうべき、叡山電鉄のデト1000形が、 最後の新造ポール集電電車として、モボ301形の3年後である昭和49年に登場しているからです。 もっとも彼らは、保線などの事業用に用いられる特殊な車両であって、普段は目に付かないところで待機していることが多い車両です。 旅客営業用車両として、なじみ深いモボ301形を最後の新造ポール集電電車としても差し支えないような気もしますが、 ここは正確に「旅客用(但しトロリーバスは除く)」ということで補筆訂正させていただきたいと思います。 さて、モト1000形とデト1000形。 どちらが、最後のポール集電電車か? と問えば、これがまた、おもしろい。 まあ、同時だとお答えしておきましょう。 人間の双子について、かつて日本の慣習では「先に生まれた方を弟とする」ということだったそうですが、 どっちが先でもいいじゃないか。というくらい双子ちゃんは、よく似ています。 そして、モト1000形とデト1000形もそっくりで、まさに双子というべきものなのです。 しかし所有する鉄道会社も違えば、形式も違う。 もっといえば、モト1000形は軌道線の車両、対してデト1000形は鉄道線の車両として作られています。 なのに、なんで、ここまで似ているんだ。という疑問は当然わき起こってきます。 そこで、彼らの生まれを訪ねてみましょう。 すると、こういうことです。 まず、今でこそ別会社ですが、叡山電鉄は、彼らの誕生した当時は、京福電気鉄道でした。 ですから、かれらは、京福電気鉄道が、昭和49年、武庫川車両にオーダーした車両ということで似てて当たり前なのです。 (京福電鉄モト1000形と京福電鉄デト1000形) でもそんな単純なものではありません。 京福電気鉄道については、「ローカル線切符紀行”京福電鉄 福井”」と「珍車ギャラリー”えちぜん鉄道 テキ6”」でもご紹介しましたが、 京都電灯という電力会社がそのルーツとなっています。 古いつながりはあるものの、福井と京都では、全く別会社といってもいいくらいに独立性が強く、 京都に於いても叡山線と嵐山線では、かたや鉄道線、かたや軌道線と路線の性格も大きく異なっているのです。 車両を見ていただいてもおわかりいただけると思います。
路面電車風の嵐山線と、小型ではあっても郊外型電車の叡山線。 路線が独立したものであることから、車両を共用すること自体、無理ですが、同じタイプの車両を双方に投入することもできません。 だいいち、プラットフォームの高さが違うではありませんか。 ん…?でも、線路の幅や架線電圧は一緒だぞ…。 そうです。旅客用車両は、無理でも、貨物用、保守作業用の車両なら同じタイプの車両を走らせることができます。 事業用電車だからこそ、同じ車両を導入できたのです。 というわけで、かれらには、なんと同じく双子というべき先代貨物用電車がいたのです。 叡山線用のデワ101形101、そして嵐山線用のフモ501形501です。 私はこの先代たちの実物について、残念ながら記憶にありません。 しかし参考文献に載せられた写真を見ると、これがまたそっくりなのです。 スペックを見ると使用された部品など違いはありますが、彼らも同じ時期(昭和2年7月)に、 同じく日本商会にオーダーされた兄弟機です。 使用頻度も低く、また特殊な車両であることもあって、半世紀近くも生き延びた車庫の主(ヌシ)的存在でした。 しかし寄る年波には勝てず、同時に引退することになったのです。折しも、 京都市電の全廃(昭和53年9月末)と時機が重なり、台車、制御器など諸々の部品をいいタイミングで調達することができました。 こんな偶然の積み重ねで、2代目の双子電動貨車が生まれたのです。 今や、こんな電車で貨物営業をする私鉄はありません。 保線用としても、内燃機関のいわゆるモーターカーか、中小私鉄では、自動車でもってすませてしまう場合も多いようです。 彼らは中小私鉄の事業用電車としても、最後の新造電車となるのではないかと思います。 それだけに貴重な存在です。 会社も別会社になってしまいました。 3代目の双子電動貨車は、まず登場することはないでしょう。 それだけに鉄道界の「きんさん、ぎんさん」と呼ばれるほどに、そろって長生きして欲しいものです。 例のモボ301形復活運転の際、見学会が西院車庫で行われたのですが、その折に、モト1001が、姿を現しました。 前述したように、なかなか姿を現さない車両ですから、このように写真を撮ることができたのは本当にラッキーだったわけです。 でも、今から思えば、 「珍車ギャラリーと銘打つくらいなら、私たちのことを忘れないで。」 と言いたかったのではないか。 −そんな気がするのです。
参考文献;鉄道ピクトリアル 「私鉄車両めぐり102 京福電気鉄道 京都本社」藤井 信夫氏 No220 1974.3 |
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